「人の死=脳死」という考え方について

この記事は,人の死の定義について個人的に思ったことを書いたものです.
かなり読みにくいかもしれませんが,参考になるようでしたら幸いです.注意点として私個人の意見が多分に含まれていることをご了承下さい.文字数は1,000字以上あります.
誤字脱字を発見された方は連絡していただければ助かります.

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※画像はPixabayより.




 人の死の定義,これは非常に難しい問題である.科学的な見方や倫理的な見方など,様々な観点から色々な見解が示されているだろう.

 単刀直入に述べると,私は「人の死=脳死」と定義されても良いと考えている
 しかしそのように規定される「べき」かと問われれば,私はそうだとはいえない.というよりも正確にはわからない.ただひとついえることは,脳死が人の死であるかどうかを決めるのは社会全体であるということだ

 私が何故「人の死=脳死」と規定されても良いと考えるのかについて,それは脳が人の意思決定器官であると個人的に考えているからである.

 例えば心停止が本当の人の死とする考え方があるが,私にとって心臓というのはあくまで人間の体の機能を維持するための器官である.
 確かに心臓がなければ人間は生きていけないほど心臓というのは重要な器官であるが,人間の中枢的役割を担うのは心臓ではなく脳である.
 体のあらゆる箇所あるいは全身が付随になったとしても,脳の機能が生きていればその人は個人としての意識を持つことができる(当たり前だが).
 また物理的に心臓の代えはできても脳の代えはできない.


ー参考:Wikipediaよりー
臓器移植法(正式名:臓器の移植に関する法律)は日本の法律の一つ.第6条において,死亡した者が臓器移植の意思を生前に書面で表示済み且つ遺族が拒まない場合に限って「脳死した者の身体」を「死体」に含むとしてその臓器を摘出できると規定している.
従来は臓器提供意思を有効に表示可能な年齢については法文には何ら規定されていなかったため,臓器移植の意思を書面で表示するためには一定の年齢というよりも脳死という概念を理解し臓器提供の意思を明示できる意思能力が不可欠とされていた.
未成年者の意思能力年齢については諸説あるが,厚生労働省が保健医療局長名(当時)で「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)として,「臓器提供に係る意思表示の有効性について、年齢等により画一的に判断することは難しいと考えるが、民法上の遺言可能年齢等を参考として、法の運用に当たっては、15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこと」と通知したことから,実質的には15歳未満の臓器提供ができないとされていた.しかし2009年の法改正により,2010年1月17日からは臓器を提供する意思表示に併せて親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示可能になった.また2010年7月17日からは本人の臓器提供の意思が不明な場合にも家族の承諾があれば臓器提供が可能となった.これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能となった.
ーーー

 脳が死んだとき,その人の人生は終わる.
 逆に,その他をすべて失ったとしても,脳さえ生きていればその人の個人の人格はまだ生きている.
 よって「人の死=脳死」と規定されても良いと考える.

 上記はあくまで私個人の考え方であるが,脳死が人の死であるかどうかを決めるのは社会全体であると考えたとしても,現に改正臓器移植法によって「脳死は人の死」と規定されているので,この改正臓器移植法が社会全体の考え方などを考慮して制定されたとすれば,寧ろ「脳死は人の死」であると規定される「べき」であるのかもしれない.
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